さーて。息抜きすっか。


by Atopos1

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忘れないために

ご無沙汰しております。
約1年間、更新を休止しておりましたが、その間、書きたいことも、書きたくないことも、色々ありました。
ですが、今回このような震災が発生し、どうしても「書いておきたい」気分になったので、書かせてもらいます。

まず、11日に安否確認のメールを送って下さった皆様、ご心配いただき本当にありがとうございました。
おかげさまで、秋田は目立った被害もなく、無事です。岩手の実家も内陸でしたので、家族も皆無事です。
仙台在住の姉も偶然帰省しており、無事です。多賀城市に住む従兄弟とは、まったく連絡がとれず、かなり心配しましたが、彼も無事でした。1週間、避難所生活を送ったそうです。不便をしたでしょうが、無事で何よりです。

地震発生当時、私は県警記者室にいましたが、2時間ほど持ち場の仕事をしたあと、応援取材の為、岩手に向かいました。道中、信号停電、猛吹雪、ガス欠、突然起こった緊急事態に対する不安などなど、色々ありましたが、無事盛岡支局に着き、地震当日から10日間、盛岡市と沿岸被災地で取材してきました。
出身県で仕事をしたいと、かねてより思っていましたが、まさかこのような形で大好きな故郷を取材することになろうとは思わず、ただただショックでした。
この10日間に経験したことは、今思い返しても、緊張感が走ります。
特に忘れられないのが、当日夜、県庁に詰めていた数時間。

「陸前高田市ほぼ壊滅」
「市街地で大規模火災、被害甚大」
「町役場と連絡取れず」
「津波後、行方不明の児童多数」
「○○地区、全戸数消滅」

入ってくる情報はどれも断片的だけど、そこから連想されるのは、明らかに凄惨で異常なまでの被害。淡々と事務的に記された箇条書きが、余計に不気味でした。

被災地には4日ほどしてから行きました。
現地は、覚悟していたけど、やはり酷かった。
道路脇に「津波浸水想定区域」の看板が出てきた直後、道ばたにはもうがれきが押し寄せている。海が見えない場所なのに、おもちゃみたいに船が転がっている。
ありえない高さにまでゴミが引っかかっていたり、泥のあとがついていたり・・・
言葉が出ませんでした。

高台から見ると、一面跡形もなく更地。私が担当した山田町は、何度か行ったことがあるはずなのに、どこに何があったか、どんな街並みだったのか、微塵も思い出せないほど、めっちゃめちゃにやられてました。海の近くでは、街灯がすべて同じ方向に、まるで飴細工のように、根元からグニャリと曲がっている。家の1階部分は、すっぽりと吹き飛ばされている。押し流された家は、行き場を失って山の斜面に溜まり、元々あった家を押しつぶしている。町の中心部は、津波とその後の火災で焼け野原に。ねじ曲がった鉄骨、赤褐色に焼け焦げた車、溶けた電線。まるで戦後にタイムスリップしたようでした。

避難所には、家族や知人の姿を見つけ、大声で泣きながら再会を喜ぶ人。家や家族を失い、ぼうぜんとする人。必死で避難者名簿をめくり、安否確認を急ぐ人。いろんな人の姿がありました。

遺体安置所にも行きました。不安そうな表情で対面の順番を待つ人。家族の遺体と対面し、慟哭する人。その場に崩れ落ち、動けない人。「どうだった」と聞く知人に「間違いなかった」と言い残し、目を潤ませながら足早にその場を去る人。「嘘でしょ」と泣き叫び、パニックに陥る人。

辛かったです。悲しい、の一言では済まされないくらい、仕事を忘れて、自分のことでもないのに涙が出てくるくらい、やるせなかった。記者って無力だなぁ、とか、こんな場所にまでカメラぶら下げて行くなんて、無神経も甚だしいなとか、本気で思いました。

でも、書かなきゃいけない、とも思った。
ここに来たくても、来れない人がいる。被災地からの情報を、やきもきして待つ人がいる。
「書いて、ここがどんな酷いことになってるのか、伝えてくれ」とすがる被災者がいる。
決して記者という仕事に酔っているわけでも、使命感に燃えているわけでもないけど、この時ばかりは、「伝えなきゃいけない」と思った。

「友達の家族の車で避難してきたけど、津波後、家族と連絡がとれない。携帯も電池が切れて、もう何もできない。もし家族が生きていても、私がここにいることは誰も知らない。水も食料も、いらない。家族が無事だったら、それだけでいい」。
ある避難所で、壊滅状態の町から逃げてきた中学3年生の女の子が言葉少なに語ってくれた。
掛ける言葉が見当たらず、「力になれることがあったら連絡して」と名刺を渡して帰った。
せめてもと思い、彼女の言葉を原稿にした。翌日紙面に載って、しばらくしたら彼女から電話がきた。
「この前お会いした○○です。新聞を読んだ知り合いがいて、家族と連絡が取れました」。

この1年間、失敗ばかりで先輩や上司に毎日めっためたに怒られ、「もう辞めたいな」と何度も思ったけど、辞めないでよかった。本当に、記者冥利に尽きる出来事で、この仕事を始めて初めて、人の役に立てた気がしました。

現場から帰って、しばらく経った今でも、頭と心の中はごちゃごちゃしてます。
クライマーズハイみたいに、眠れない。
同じ東北でも、しかもほんの隣県なのに、ここ秋田では震災の影響はほとんど目に見えなくて、不思議な感じです。被災地では今日も色々な変化があって、新しい苦しみが生まれているのに、ここで震災とはおよそ関係ない日々を過ごしているのがすごくもどかしい。今すぐにでも、現場に戻りたいです。


久々の更新にしては、ちょっと語り過ぎました。
独りよがりな内容になってしまって、読んでくれた人には申し訳ないです。
でも、どうしても忘れたくなかったので。ご容赦下さい。

被災地の1日も早い復興を願ってやみません。頑張れ、ではなく、頑張ろう東北。
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by Atopos1 | 2011-03-26 03:23 | その他