さーて。息抜きすっか。


by Atopos1

『道』といふもの。

昨日はドイツからの留学生たちと一緒に、町田のお茶の先生のお宅を訪問しました。
先生のお宅には、夏以来もう既に何度かお邪魔させていただいています。

お茶の先生も元T大教授でいらっしゃる旦那様も、社会的にかなり権威のある地位に御出でであるにもかかわらず、御二人共非常に気さくでお優しい。
なんと言うか、このような俗な言葉で形容するのが憚られるほど素晴らしい方々なのです。
人格者とはこういう方のことを言うのだなぁ、と毎回骨身に染みて感じると共に、このような先生方とお近付きになる機会が与えられた幸せを噛み締めて居るのであります。
そんなわけで、このご夫妻は私の憧れであり、人生の目標なのです。

昨日もまた大人数でどかっと押しかけたわけですが^^;、それでも嫌な顔一つなさらず温かく迎えてくださいました。
さらに、ドイツで茶道に触れる機会の無かった留学生の為に、「立礼(りゅうれい)」という椅子を使って行うお手前をわざわざ披露して下さいました。

茶道は茶室で正座をして行うもの、という観念が定着していますが、実はこの「立礼」も立派な様式の一つ。
裏千家11代家元の玄々斎が、外国人や足の悪い方でもお茶を楽しめるように・・・との願いを込めて創案したのがそもそもの始まりだそうです。
私ももう何度かこの「立礼」を体験させていただきましたが、確かに足の痺れなどに気を取られることなく、お茶を点てて下さる方のお手前に集中することが出来ます。
特に今回のように大勢のお客様や茶道初心者が集う茶会などでは、このようなスタイルの方が招かれた側にとっても良いのではないかな、と言う気がします。慣れない正座に加えて長時間、となると、興味深いはずのものも苦痛になりかねませんから。
11代玄々斎がこの様式を提案してから早135年が経過しているということを考えれば、いかに茶道が早い段階で国際的普及を視野に入れていたかが分かります。
そして読み通り茶道が日本を代表する伝統文化と世界的に認識されている今、この古人の先見の明にはただただ驚かされます。

何度かお茶の席に参加させていただいて思ったことがあります。
それは、あらゆる『~道』というものにはやはり共通点があるということ。
それは侘寂を尊ぶ姿勢であり、所作の美しさその一点に尽きる、というものです。
茶道にも緩急があり、武道にもまた緩急がある。だらだらとした凹凸の無い一連の動きは見ていて退屈であり、丁寧であったとしてもそれは美しいとは言えない。
『~道』というものの醍醐味、或は見せ場は、やはり『静』の中にある『動』だと思います。
感情を露にせず、そいうったものを内に秘めて自己と対峙する。しかも情熱的に。
これこそ日本特有の精神ではないか、と思うのですが、いかがでしょう?笑

私は弓道をやっていたので、精神の動く様を勝負の世界につい置き換えて考えてしまいがちですが、意外と茶道にも通ずるところがあるじゃないか、と嬉しくなったのです。
そしてだんだん茶道に興味が出てきました。
あの、無駄の無い凛とした所作に心を奪われてしまったのです。。
弓道でもお作法が大好きで、気が付けば射よりも所作の練習ばかりしていたような気がする私(笑)、なんだか『~道』の根本原理が恋しくなりました。
あの厳格さの中に身を投じたくなってしまったので、今日或は今週末、突然ですが近隣の弓道場へ足を運びたいと思います。笑
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by Atopos1 | 2007-12-03 02:35 | その他